江戸幕府の創設とともに誕生した八策。永い間歴史の移り変わりを見てきた中で、失敗をひきずらず強く前向きな魂を手に入れた。その頃、静かに見守っていたのは、維新の志士と言われる坂本龍馬の本家。
なぜか直陰(龍馬の諱)には幼い頃から、八策の姿が見えていたとも言われている。本来、物静かで穏やかな性格だが、大切にする相手には極めて辛口で淡々と言葉をかけ力を与える。また頭脳明晰で良い意味での策士でもある。
彼の生み出した言葉には「米水技心/マイスイギシン)」「源和創献/ゲンワソウコン」の二つがある。
「米水技心」には"技と心で恵まれた自然に命を吹き込む"。「源和創献」には"和を源に人々に創造を献上する"。という意味が込められているのだとか。その名八策の「八」に繋がる八つの漢字。自在に操る筆にて書かれた四字熟語との言い伝えが残っているが、未だ本物の書を見たものはいない。
今から約400年昔の慶長8年(1603年)、山内一豊に伴い土佐に入国した首席家老、深尾和泉守重良は佐川1万石を預かることになります。
その時、深尾氏に従ってきた「御酒屋」が、司牡丹酒造の前身です。
その酒屋としての長い歴史の中では、土佐の英雄・坂本龍馬とも深い縁を持つとされ、「龍馬と最も縁の深い蔵元」としても知られています。
そして佐川の地に伝統正しい酒造りが受け継がれ、大正7年(1918年)、佐川の酒造家が結集して株式会社を設立。
佐川出身の維新の志士、明治新政府の宮内大臣も務めた田中光顕伯爵(坂本龍馬、中岡慎太郎亡き後の陸援隊長)は、この佐川の酒を愛飲し、「天下の芳醇なり、今後は酒の王たるべし」と激励の一筆を寄せ、「司牡丹」と命名されました。
「牡丹は百花の王、さらに牡丹の中の司たるべし」という意味です。
関西大手ゲーム会社勤務を経てイラストレーターに転向。
ソーシャルゲームのキャラクターデザイン(戦国修羅SOUL LORD of VERMILION ARENA等) の他
ゲームやアニメのイメージボード背景等を制作。