時は遡ること百有余年の江戸中期。
カナカナカナカナとヒグラシの声が鳴り響く、人里離れた九州脊梁山系の山深き地で、蝉が羽化するがごとく、深い眠りから目覚めたのは『ジュント(潤都)』。
樹々や水、そして花の精霊たちが、ジュントを纏うように飛び回るその姿は、清らかで美しく、気品に満ち溢れ、まるで神のような佇まいであった。ジュントの目覚めは森の春夏秋冬を生かし、眠りは大地を守る。感情を表に出さない性格ではあるが、星の光に照らされる瞳には、研ぎ澄まされた意志の強さを感じさせ、仄かに微笑する姿に、人々だけでなく精霊たちにも魅了される存在となった。
或る日のこと、ジュントが名勝「通潤橋」のある矢部手永(現在の熊本県上益城郡山都町)を訪れた時、自身が守る森の美しい水、朝夕の寒暖差に育まれた、この地の水と米でしか出来ない酒を知る。豊かな自然の恵みに感謝し、皆が伝統を守り、誇りをもって酒造りを行う杜氏たち、また、人知の及ばない自然の無慈悲さを目の当たりにしても、懸命に生きようとする姿に心打たれたジュント。
良き時悪しき時も、酒造りの元となる自然を守りながら、静かに蔵元を見守るのであった。
長い幼虫時代を地中で過ごすセミの生態を、酒蔵で一年間寝かせた古酒のイメージに重ねた商品です。
春、山あいの小さな棚田で生まれました。
夏、里山からしみ出してくる清水をいっぱいにすい、蜩の声を聞きながら秋の実りを迎えます。
冬、雪の中を杜氏の優しい心のこもった手で生まれ変わりました。
それからゆっくり、酒蔵でつくつく法師を子守歌に豊かな味わいの純米吟醸酒に成長しました。
山里の四季を経て、ようやく「蝉」は皆様の前で鳴き始めます。
明和7(1770)年、当時回船問屋を営んでいた備前屋清九郎によって現在地にて創業。
創業当時の蔵(寛政4年)が今も残っています。
明治10年西南戦争時には西郷隆盛の本陣となり、奥の座敷に西郷さんも宿泊。その時の様子は司馬遼太郎の「翔ぶが如く」にも掲載されています。
蔵は九州・熊本のほぼ中央に位置し、緑川、五ヶ瀬川の両大河が生まれる水が生まれる場所、山都町。
朝夕の寒暖の差もあり、お米もおいしく酒造りに最高の環境が揃っています。
山都町の米と水を使い、ここでしか出来ない嘘のない酒造りを謙虚に行っています。
山都町の美味しい米と水、そして山都町の人手造る。それが通潤の酒造り。
弊社の酒米は、ほぼ100%を地元で賄うことができています。